中島章隆記者、ちょっと良い話
毎日新聞社報が郵送されて来た。
珍しく二月号は「販売新年会、部数増に決意」がトップ記事。いつも、編集部門の話だが、今回は「販売のニュース」がトップになっていた。
これが本当だろう。記者は書いてナンボだが、読んでもらわなければ一銭にもならない。
新聞は「売ってナンボ!」である。販売の仲間が、我々を食わしている。
記者職で入社したが、一時「販売をやっても良いな」と思った頃があった。販売をやらないと「本当の新聞」が分からないような気がした。でも、声が掛からなかった。 まあ、僕には無理だったかも知れないが(笑)。
社報で必ず読むのが「毎日とともに」という欄。退職する人のメッセージである。
中島(章隆)クンが定年になったのか? ビックリした。
元運動部長。至極、真面目な、物静かな記者。ところが、結構、彼の原稿は厳しい。でも、面白い。特ダネがある。
彼のスポーツものは必ず読んでいる。(毎日フォーラムの彼の記事は必読である)
早速、彼の「お別れメッセージ」を読んで見たら……意外なことを知った。
振り出しの青森支局勤務の6年間。彼は県庁クラブに席を置くかたわら、ライフワークと称して「パチンコ」という長期連載に打ち込んだ、と書いている。
パチンコ? 当時、一般紙の取り扱うテーマではないように思うが……その内容は……出稼ぎと失業保険とパチプロの三角関係、民団vs総連系列店の仁義なき戦い、景品交換のカラクリと警察OBの天下り。なるほど、パチンコ噺は奥が深い。
そうか、中島クンは支局時代、社会派だったのか?
スポーツに特別、興味もなく、たまたま「運動部から声が掛かった」ので「面白いですね」と快諾した。それが、スポーツとの出会い。気がついたら、スポーツ一途。運動部長を務め、論説委員になっていた。
人生なんて、分からない。「 社会部以外行かない!」と言い続けていれば……。
中島クンはいわゆる”嘱託”で、「房総・館山通信部」で書き続ける。
青森支局の時、面倒を見てくれた松永支局長が、その後、館山通信部記者として記者生命を燃焼したのを見て「僕も同じように地方記者で終わりたい」と申し出て、館山に赴任した。始めての「お願い」だった。
素晴らしい記者生活ではないか! 人事異動の季節。ちょっと良い話ではないか。
暖かくなったら、館山に遊びに行くか。
<何だか分からない今日の名文句>
中島クン自称「還暦房総族」