早稲田大学新聞学科の同窓会
昭和38年、日大一高→日大文理学部甲種特待生(学資の他に小遣いまでくれる)の道を選ばず、早稲田大学第一政経学部新聞学科を受験した。
新聞記者になりたくて、なりたくて……映画「ローマの休日」を何回も見て、NHKの「事件記者」を必ず見て「この職業しかない」と《憧れ》のようなものがあった。
倍率36倍。難関だった。
運よく、合格した時、人生最大の「喜びの日」だった。お袋と大隈重信の像の前で、記念写真を撮った。
その「昭和38年入学」の新聞学科の仲間の「同窓会」が15日午後、大隈講堂近くの早稲田鶴巻町のイタリアンで開かれた。(実は、在学中、新聞学科は廃止された)
久しぶりだった。大隈講堂は、長男の入学式からだから、約30年ぶりではないか。早稲田の杜は高層ビルの街に一変していた。
昭和38年に新聞学科に入学したのは63人。その内、30人ぐらいが連絡が取れ、出席したのは11人。
「3人が死亡確認されている」と幹事の木村誠が報告した。(親友だった木村は学習研究社に就職したが、労働組合を作ったのが災いして?出世が出来なかったが、いまや、売れっ子の大学教育ジャーナリスト。「危ない私立大学 残る私立大学」<朝日新書>などが売れている)
70歳から72歳? みんな元気だった。
それぞれに、近況報告。悠々自適も多いが、みんな「目的」を持っている。(毎日新聞の大阪・経済部に進み、独立した中村清はわざわざ、神戸からやってきてくれた)
それぞれ、紹介したいが、どこまで「明かして良い」のか?分からないので、匿名で書けば……「悩みはないが、倅が離婚して、困っている。いい奴を紹介してくれ」(静岡の住職)「一人で山に登ったり、図書館の本ばかり読んでいる」(57歳で、銀行を早期退職した)「安倍首相は大嫌いだが、女房が安倍ファンで困っている」(読売新聞で飯を食った)「最近、関西から東京に戻って代々木上原の高級マンションに住んでいる。東京のマンションの価格は大阪の1・8倍である」(読売新聞を早期解職して、不動産業で、一時、大成功した)などなど。
欠席した面々の手紙も紹介された。
坂道研究家の山野勝(元週刊ヤングマガジン編集長)は「講義があるので欠席」(タモリと二人だけの「日本坂道学会」を作った)「身体が不調。最近、家から出たことがない」(これは数人)
僕以外は、ワインの飲み放題。午後4時には、大分、酩酊していた。
それにしても「会費7000円」は安い。幹事に、感謝したい。
<何だか分からない今日の名文句>
夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば
懐しい友の顔が 一人一人うかぶ
重いカバンを抱えて 通ったあの道
秋の日の図書館の ノートとインクの匂い
枯葉の散る窓辺 学生時代