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島倉千代子さんとオープンさん

 島倉千代子さんと初めてお会いしたのは、2004年の今頃だった。
 目的は「取材」ではなかった。
 その数日前、毎日新聞社会部の大先輩・オープンさん(本名・開真さん)から、突然、手紙を貰った。その手紙には一枚の新聞のコピーが入っていた。
 オープンさん、当時、79歳。何故か「そろそろ身辺整理をしなくては……」と思い、書斎を片付けていたら、古びた新聞の切り抜きが出てきた。
 警察回りの駆け出しの頃、確かに、自分で書いた記事だが、その中に「島倉千代子」という名前が出てくる。
 「牧!島倉さんに会って、この記事の中学生はあなたですか?と聞いてくれ!」というのだ。
 同封の記事の見出しは「若だんな楽団、近く表彰 防犯にも一役 北品川」。1953年5月8日東京城南版の記事である。
 読んで見ると、若い商店主が楽団を作り、留置人や 恵まれない子供らを慰問している、という話だ。
 カット写真付き。多分“駆け出し”のオープンさんが警察で拾ったネタ。所謂、街ダネである。
 確かに、本文に「歌は品川中学3年生・島倉千代子さん」とある。
 大先輩のオープンの命令である。仕事をサボって?お千代さんを追いかけた。
 「この記事にある島倉千代子さんはあなたですか」とぶしつけな質問。
 「見せて……。エッ!この写真……。そうよ、アコーディオンを弾いているの確かに私です。こんな記事があったんですか?」とお千代さん、歓声を 上げた。
 当時、売春防止法がなく、昔のままの「女郎屋」が並ぶ北品川地区は犯罪多発地区だった。
 そこで、若旦那が防犯に一役買った。中学生の彼女は、そんな「大人の事情」は知らなかったらしい。
  “のど自慢荒らし”の島倉千代子さんは、その翌年、プロになった。
 オープンさんに報告すると「ありがとう!これは良かった、良かった」と大喜びだった。
 これがキッカケで、僕はお千代さんと少しだが親しくなって、彼女のラジオ番組にゲストとして出演したりした。
 本当に、人の良い、いつまで経っても「少女」のような女性だった。
 その年の「紅白」は50回の節目。彼女は視聴者アンケートで出場したが、その前に「わたし、去年、あることがあって心が飛んだの。声が飛んだの」と 涙ぐんでいた。
 声が出なくなった原因の「あること」を具体的に聞いてしまったが……忘れることにした。記事にしなかったのが正解だった、と今でも思う。
 何でも、正直に話す彼女は、時に、騙されたりしたこともあったのだろう。でも、お千代さんは恨まなかった。
 明日14日は島倉千代子さんの告別式。多分、テレビの方のイベントになるのだろう。
 遠くから、送ろう!と思う。
 そうそう、お千代さんと知り合うようになったキッカケを作ってくれたオープンさんは、2008年2月29日、享年82歳で亡くなった。この時も、悲しかった。
 その時の模様は、牧内節夫・大先輩のブログ「銀座一丁目新聞」に詳しい。
 告別式(3月4日)で、喪主・芳子夫人は参会者に以下のように挨拶をされた。
 2月14日朝6時20分ごろ、主人は胸が苦しいから救急車を呼んでくれというので消防署に電話しました。すぐまいりました救急車の中で救急隊員に「ありがとう」「ありがとう」と5、6回繰り返しました。隊員が「体に触りますから、しゃべらないで下さい」と言いました。病院で手厚い手当てを受けましたが意識を回復することなく、なくなりました。はじめの「ありがとう」は救急隊員に、次の「ありがとう」はおこがましいですがおそらく私に、3番目の「ありがとう」は家族たちに、4番目は主人を支えてくれたみなさへの感謝の言葉であったと思います。
 良い挨拶だった。
 「ありがとう」が遺言。オープンさんも素晴らしい一生だった。
 お千代さんの歌声が聞きたい。
 オープンさんの「大声」が聞きたい。

<何だか 分からない今日の名文句>
「ありがとう」だけが人生さ