アエラは「佐村河内」を放置した?
「偽ベートーベン・佐村河内」は「オウム真理教の麻原彰晃」に似ている。
作曲をするときのポーズがよく似ている。
座禅のように床に座り、ひたすら曲のイメージに集中する。降りてきた音はすべて記憶し、その後、一気に記譜する。「それでメロディーが完成する」。この姿が似ている。その言い分が「麻原の超能力」のインチキに似ている。
もっと似ているのは、麻原的マインドコントロールである。
麻原は高学歴の若者を洗脳して、信者にした。佐村河内は(多分、高学歴の)メディアの人間を煙に巻いて「信者」にした。
我が毎日新聞も、昨年8月11日付けの朝刊の大型ルポ「ストーリー」で「佐村河内」を取り上げている。「頭の中で鳴った音を五線譜にはき出す作業」を彼が言うそのまま、活字にした。
昨日10日のブログで「新垣さんは佐村河内の共犯者ではない!被害者だ!『共犯者』は佐村河内の嘘を見破れなかったメディアではないのか?」と書いた。それは、メディアの人間に「君たちは知的基礎体力に欠けているぞ!」と訴えたかったからだ。
記者会見に慣らされ、相手の言い分をただ書くだけの記者が多い。
相手の顔を見ない記者が多過ぎる。
そんな中で、10日発売の週刊誌 「AERA」が「本誌が見抜いた佐村河内の嘘」と題して、昨年6月に行ったインタビュー の掲載を見送った経緯を紹介している。
多分、毎日新聞がインタビューしたのと同じ頃ではないのか。
同誌によると、横浜市内にある佐村河内の自宅マンションで取材を行った際、疑わしい振る舞いが いくつかあったという。
交響曲「HIROSHIMA」に込めた思いや、幼少期のエピソード、 作曲方法などについて冗舌に語ったが、手話通訳の動きが終わる前に話し始めたことが何度かあったという。
さらに取材終了後、帰りのタクシーが到着してインターホンが鳴ると、即座に立ち上がって「来ましたよ」と言ったという。
アエラのインタビューは3時間に及んだらしい。
心を動かされた部分は確かにあったが、腑に落ちなかったところもあった、と打ちあけている。
取材後、多角的な記事にしようと複数の関係者に当たってみると、「佐村河内氏の話のどこまでが本当なのか、甚だ疑問だ」「クラシックでは時折、過去の作品をモチーフに作曲することがあるが、彼の作品はバッハやベートーヴェン、マーラーなどの影響が色濃く、オリジナリティーに疑問がある」「お金にうるさい」
「本当は全聾ではなく、聞こえているのかも知れない」……複数の関係者が、作曲能力や聴覚障害について疑問を投げかけていることを、アエラの記者は知った。
アエラは、インタビュー記事の掲載を見送ったと説明している。
さすがアエラ!である。立派である。
でも、インビュー記事をやめるだけで良いのか?
もし、佐村河内に「犯罪的所業」があるとすれば、それを暴くのが週刊誌の仕事ではないのか?
インタビューを仕掛けた人間がいた、と思う。そんな人間関係の「しがらみ」があって、躊躇したのか?
アエラは、お見事ではあったが……結果的に「偽ベートーベン犯罪」を放置したことになる。
残念でならない。
僕には「オウム真理教の狂気」を暴いて、殺されそうになった経験もある。だから、無理な取材は勧めないが……「佐村河内」は単なる詐欺師じゃないか?
それにしても、NHKも、TBSも、毎日新聞も「単なる詐欺師」に騙され、詐欺商法の手先に使われた。
これは、メディアにとって、学ぶべき「歴史的な出来事の一つ」かも知れない。
<何だか分からない今日の名文句>
取材の一歩「まず人相を見ろ!」