北島三郎の弟・大野拓克さんは怪物だった!
24日朝、三田病院に検診に行くと、例の東麻布の「カリスマ美容師」にバッタリ。
「胃がんで……三分の二、切った」という。
10年ぐらい、会わなかったが、確かに、痩せこけている。
全国大会で毎年、優勝して「カリスマ」と言われていいたが、病には勝てない、ということか。
同じ「10月10日生まれ」で、年齢もどっこいどっこい。「お互いに頑張ろう!」と別れた。
病院のカフェで、スポーツ新聞に目を通していたら……歌手・北島三郎さんの実弟で、北島音楽事務所常務取締役の大野拓克さんが20日、肝臓がんで死去したという。
びっくりした。
大野さんは7人兄弟の末弟。風貌がサブちゃんとそっくり。コンサートの営業を担当し、事実上、北島王国の「大番頭」という名前の「王様」。演歌の世界でも、多分「王様の一人」だったはずだ。
彼には、イロイロ教えてもらった。
ここでは、事情があって、書けないことが沢山あるが……二つだけ、紹介しておこう。
一つは、全国の「親分衆」と顔なじみであること。そして、このことを隠さず、僕には、むしろ自慢げに話してくれた。
「親分衆」の後押しで、今の「北島三郎」がある!と話して平気だった。
(エピソードは数々あるが、それは墓まで持って行くか)
もう一つは、佛所護念会の熱心な信者であること。
関口嘉一・初代会長、関口トミノ・二代会長夫妻に可愛がられ、特別の関係にあった。大野さんは「北島三郎」を信ずると共に「関口先生」を信じていた。
(佛所護念会は、末法の時代を生きる人々を苦しみから救うために説かれた「妙法蓮華経二十八品と無量義経・佛説観普賢菩薩行法経」を経典とする在家の宗教団体)
大野さんは「法華経は、お釋迦さまが晩年の数年間をかけて説かれた教えだから信じられる」と話していた。若い時、関口先生に、物心ともに、面倒を見てもらったらしい。関口先生は清潔な宗教家だったらしい。
(創立以来、会員からの寄附・賽銭はなし。月々の会費のみで運営をしているのにも、大野さんの自慢だった)
大野さんは「毎日新聞を応援したい」と佛所護念会の仲間を大量に読者にしてくれたこともあった。
その毎日新聞がある時、「北島三郎が暴力団の新年会で歌う」とスクープして、紅白歌合戦に出られなくなったこともあったが、大野さんは「仕方がない」と笑っていた。
「もの知り」だった。怪物だった。
大野さん!あなたが居たから、演歌は生き延びた。
ご冥福を!
<何だか分からない今日の名文句>
本来無一物 だから健康第一!