森正蔵大先輩の日記「挙国の体当たり」
24日、毎日新聞社の一年先輩の森桂さんから、貴重な貴重な書籍を送って頂いた。
桂さんのお父上、森正蔵さんが書き記した、戦争中の1200日分の日記である。
「挙国の体当たり: 戦時社説150本を書き通した新聞人の独白」385ページの大作である。
桂さんのお父上・正蔵さんも毎日新聞の大先輩である。
1900年、滋賀県生まれ。東京外国語学校(現東京外大)卒業後、毎日新聞社に入社。ハルビン、奉天、モスクワなどの特派員を勤め、1940年、屈指のロシア通であることが買われ外信部ロシア課長となった。
日米開戦時は論説委員。
開戦後いち早く最前線に従軍し、帰還後はその体験を基に健筆を揮い、立て続けに社説で論陣を張った。
社会部長で終戦を迎えるが、その後、論説委員長、取締役などの要職を歴任、その間に発表した『旋風二十年』(鱒書房)は空前のベストセラーとなった。
「伝説の大記者」である。
息子の桂さんは、1966年、毎日新聞社に入社。世の中、不景気で、2000人ぐらいが応募して、11人しか入社出来なかったが、桂さんは見事、この難関を突破し、親子二代の「毎日新聞記者」になった。
僕は、その翌年、入社。4年後、東京社会部で、一緒に、働くようになった。
桂さんは、どちらかと言うと、じっくりテーマを掘り下げるタイプで、特ダネを探すのが大好きな僕とは、ちょっと、肌合いが違った。それが良かったのだろう、ライバル意識がないので、仲良くなれた。
桂さんは、退社後、3年掛けて、お父上の日記を整理していた。
日記は、真珠湾攻撃のあった昭和16年12月8日から始まる。
その日の日記は……
快晴。対英米宣戦布告さる!
太平洋戦争第一日?
朝、新聞を開くなりハッとした。朝日、読売などは特に、新しい紙面をつくっていないが、本紙は完全に戦争気分を盛っている。
この日から、日韓降伏文書調印が行われた昭和20年9月2日までの日記が所収されている。
70年、封印された日記である。
ラバウル、ブイン、ショートランド…敵弾を潜り、空爆に曝されながら、毎日新聞社説を送り続けた森正蔵・大先輩の「戦争の真実」とは?
夢中になって、読んだ。
憲法改正が騒がれる昨今。出版はグッドタイミングである(出版社は毎日ワンズ)。
24日の夜は、柳橋・亀清楼で「大役」を果たした競馬仲間を中心に、感謝の意味を込め、4人で賑やかに過ごす。
「調布の悪友」は、いつものように言いたい放題。
「門前仲町の知識人」は、例によって、バランス感覚抜群。
僕はといえば、穿った言い回しばかりで、笑われた。
宴の主人公は、いつものようにニコニコ。
いくつになっても、友達って、良いな。
<何だか分からない今日の名文句>
新聞の戦争責任は?
森正蔵・大先輩は辞表を出し、
毎日新聞社はその辞表を受理せず、
社長が全責任を負い、
毎日新聞社は
罪を全読者に謝する社告を掲載した!