今日は「安倍晋三の血脈」研究
なぜ今「安倍晋三の腹違いの弟」説が?
もう一人の祖父・安倍寛は反軍閥!
6日発売の週刊現代に【政界激震スクープ・華麗なる総理一家の隠された秘密 安倍総理に「腹違いの弟」がいた】という記事が載った。
筆者は松田賢弥さん。
出版業界紙「新文化」記者を辞め、フリーライターになった頃、僕が編集長だったサンデー毎日で執筆していたので、若干、面識もある。
最近は 「小沢一郎 虚飾の支配者」「角栄になれなかった男 小沢一郎全研究」「小沢一郎 淋しき家族の肖像」など「小沢一郎もの」を得意としている。
その松田が、今、なぜ、安倍さんなのか?なぜ、今「腹違いの弟」を書いたのか?
それを“絵解き”する前に……「安倍晋三の血脈」を整理してみよう。晋三さんは確かに「華麗なる一族」に生まれている。
母方の祖父は岸信介(官僚、政治家・首相)
大叔父、佐藤栄作(官僚、政治家・首相)
父は安倍晋太郎(毎日新聞記者、政治家)
母は洋子(岸信介長女)
兄は寛信(三菱商事パッケージング社長、妻はウシオ電機会長牛尾治朗の娘)
弟・信夫は岸信介元首相の息子・岸信和には、子供がなく、生後すぐ、安倍家から岸家に養子になった。
岸信夫は現在、国会議員。
妻・昭恵さんは旧姓・松崎。森永製菓第5代社長・松崎昭雄さんの長女である。
確かに「華麗なる一族」である。が、ここに紹介した「血脈」は、すべて母方の祖父・岸信介の流れである。
しかし、父方の祖父・安倍寛も名門の一族である。
安倍家は江戸時代に代々、大庄屋を務め、酒と醤油の醸造を営み、地元・山口では名門だった。
一説では、祖先は安倍宗任。 平安時代中期の武将で、陸奥国の俘囚の長とされる豪族。「鳥海三郎」と呼ばれた人物である。
この「血脈」より、安倍寛の倅・安倍晋太郎(安倍晋三の父)が自慢したのは、代々の「反軍閥」のイデオロギーである。
東京帝国大学法学部政治学科を卒業すると、安倍寛は「金権腐敗打破!」を叫んで1928年の総選挙に立候補するも落選。
仕方なく、日置村村長に就任。山口県議会議員などを経て、1937年の総選挙で、無所属で立候補し、衆議院議員になった。
彼は、平和主義者だった。第二次世界大戦中の1942年の翼賛選挙でも、東條英機らの軍閥主義を鋭く批判、無所属・非推薦で出馬し当選した。
A級戦犯の岸信介とは、正反対だった。
安倍寛は戦後第1回の総選挙を準備していたが、直前に心臓麻痺で急死。その12年後に、倅・晋太郎が衆院議員になっている。
晋太郎は「義理の父・岸信介」より「平和主義の安倍寛」が好きだった。
その晋太郎は「岸家の養子」と言われるのが、嫌だったと思う。(一時、安倍晋太郎番記者だった僕には、そう見えた)
さて、週刊現代の【政界激震スクープ・華麗なる総理一家の隠された秘密 安倍総理に「腹違いの弟」がいた】の話に戻ろう。
記事の内容を書くと、営業妨害になるから書けないが……「岸家の養子」の重圧に押し潰されそうになった安倍晋太郎が「癒し」を求め、料理屋の女将と親しくなり、子供を生んだ……と、松田さんは書いている。
腹違いの弟とのインタビューも載っているが、真実であるかどうか?それは分からない。
ただ言えることは、安倍晋三さんは、父方の平和主義とは決別して、母方の「美しい軍拡」に組みしていることである。
(晋三さんは祖父・安倍寛を知らないから)
松田さんの記事によると「腹違いの弟」は研究者だというのだが。
<何だか分からない今日の名文句>
血は水よりも濃い