「無我・非我」と「無心・無私」
「無我・非我」と「無心・無我」は徹底的に違う。
「無我・非我」は「我」そのものが無いこと。
「無心・無私」は「我」は実在するが、なにごとにも「わだかまり」がないこと。全く、意味が違う。
釈迦の教えは 「無我・非我」。「無心・無私」ではない。
般若心経を勉強して、ようやく、その違いが分かるようになったが……どこを探しても「我」がないということは、やはり、理解しづらい。
日本では「浄い無心」が分かり易いが、どうだろうか。
日本には「無我・非我」がないのではあるまいか?
イスラムで、人々は「我」をどう捉えているんだろう。
昨日のブログでも、若干触れたが、 イスラム教は唯一絶対神。神は主人で、人間は奴隷……のような関係だ。
創造主に対して、創造物の「我」は存在するのか?
興味がある。
さて、二人の日本人がイスラム国に拘束されている事件。
基本的には「イスラム国を含めた中東諸国に対し、日本は軍事力を行使してこなかったし、今後も行使しない」と明言すべきだ。
その上で
①民生、人道支援は続ける!
②テロには屈しない!
③拘束した日本人を即時、無条件で解放しろ!
と言うしかない。
彼らは、今、人質をどう扱えば最も効果的か?を考えている。
情報戦であるが、神経戦でもある。
それにしても、重苦しい週末になりそうだ。
<何だか分からない今日の名文句>
難民を救うのは「無心の境地」である!