「心配(時々)停止」なのかな?
26日は昼から、NHKの全豪オープン。
錦織圭が4回戦突破するか? で、夢中になった。
ダビド・フェレール(スペイン)を6―3、6―3、6―3でストレート勝ちして、3年ぶりの8強入りを果たした。
ヤンヤヤンヤ!
日本中が、錦織応援団になって、イスラム国の日本人人質事件を忘れていた。
作家・五木寛之さんが最近「心肺停止」をもじって「心配停止」という造語を作った。
地震、津波に始まって、健康、老化、地球環境、年金、戦争……心配事は数々あるが、現代人は、やれサッカー、やれ羽生結弦、やれ錦織……気になるイベントが多すぎて、人々は「心配停止」状態になっている、という。ほとんどの人が、現実世界に不安を持っていない!と言うのだ。
そうかも、知れない。
でも、そうでもないようにも思う。
確かに、テレビが展開するイベントに夢中になるが、それが終われば、あれも不安だ、これも不安だ!の心配性の向きも多い。
辛うじて「浮かれて見せている人」もいるんだろう。
「心配時々停止」ではないのか?
心配事と言えば、毎日新聞社は26日、出版事業を4月1日付で分社化し、「毎日新聞出版株式会社」を設立することを決めた、と発表した。当然の選択だが、これが、うまくいかないと……職を失う人も出るだろう。
それに、優之介が、26日午前、転がって、脚を骨折。手術するようだが……子供の骨折なんて、事件にもならない、と思いながらも、心配で……歳なのかなあ?
<何だか分からない今日の名文句>
杞人の憂い=取り越し苦労