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夏至。お盆と施餓鬼は違う

 22日は夏至。一年で最も日照時間が長い。この日から、次の節気「小暑」の前日までを夏至と呼ぶこともある。
 この頃、決まって深川の菩提寺、真言宗豊山派「法乗院 閻魔堂」から大施餓鬼会仏食供養法要の知らせが来る。
 時期が近いのでお盆と混同するが、お施餓鬼は全く違う行事だ。
 お盆(盂蘭盆)は、釈迦の10大弟子の一人、目連尊者が施餓鬼道に堕ちて苦しむ母を救う為に供養したものが始まり。施餓鬼は別のもので、その由来は『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶつせつぐばつえんくがきだらにきょう)』にある。
 10大弟子の一人、阿難尊者のもとに夜も更けた丑三刻、「焔口」という名の餓鬼があらわれた。その姿は、身は醜く枯れ細り、口からは火を吹き喉は針の先のように細く、見るのも恐ろしい形相。餓鬼は阿難の前にじっと座り「阿難よ、お前の寿命はあと三日で尽きる。死んだ後は餓鬼となり、私と同じような醜い恐ろしい姿になるだろう」と話す。
 びっくりした阿難は、餓鬼に「どうしたら、その苦をのがれることができますか」 と尋ねる。「明日の朝、無数の餓鬼と、バラモン(司祭者)に、多くの飯食(お供物)を用意しろ、そうすれば、その功徳によってお前の寿命は延び、私は餓鬼の苦を離れ、天上に生まれることができるだろう」
 阿難尊者は恐れに震えながら、釈迦に助けを求める。するとお釈迦さまは「心配しなくてよい。この呪文を唱えながら餓鬼に食物を布施しなさい。そうすれば僅かな一食でも、たちまちにたくさんのおいしい食べ物になり、無数の餓鬼を満足させることができるだろう」と教えた。
 自分の命を守る為に、多勢の苦しんでいる餓鬼たちに施す。これが、お施餓鬼の根本精神。阿難尊者が見たものは、物欲に支配され自分本位に走り、他人を差別したり傷つけたりする「人間」そのもの。人間の「物欲」は限りない。そこで、ものを分け与えることによって、自らの「物欲」を無くす。これも修行である。
 法乗院の「お知らせ」には、こんなことが書かれている。大施餓鬼会仏食供養法要は7月5日。お盆供養は、東京なので旧盆ではなく7月13日。
 いよいよ東京も夏だ。

<何だか分からない今日の名文句>
仏の道も、ボランティア