「政府の力では守り切らない」事態とは?
20日、東京新聞に「首都圏避難で首相談話草案」入手の特ダネが載った。
2011年3月、東京電力福島第一原発事故の際、首都圏で大規模な避難が必要になる最悪のシナリオに備え、当時の菅直人・民主党政権下で首相談話の作成が極秘に行われていた、というのだ。
草案全文が載っている。(草案作成は、民主党政権で官邸の情報発信担当の内閣官房参与を務めていた劇作家の平田オリザ氏)
全体として、落ちついた表現だが、気になる部分がある。
草案には「ことここに至っては、政府の力だけ、自治体の力だけでは、皆様の生活をすべてお守りすることができません」とある。
万策尽きた状況を想定しているのかも知れないが、軽々しく言える「文言」ではない。
「政府が国民を守り切れない」とは、どうゆう状態なのか?
これを、本気で議論しておかなければならないような気がする。
政府と国民の契約とは何か?
例えば、災害時に、略奪が起こったとしても、政府はこの「犯罪行為」を捕まえることが出来ないのか?
イロイロなことが想定出来る。
パニックを警戒して、草案は「西日本に向かう列車などに、妊娠中、乳幼児を連れた方を優先して乗車させていただきたい」などと書いているが、政府は、こんな時、こうした指導が出来るのか?
災害時だけではない。経済破綻が起こったら、どうなるのか?
妙な政府と出会ったら、国民は痛い目にあう。でも、国民であることは間違いない。
国と国民の関係を勉強しなければ。
さて、ことし初のGⅠ・フェブラリーS。やっぱり、 外国人騎手のワン・ツーだった。
<何だか分からない今日の名文句>
細道で犬に出会ったら、
権利を主張して咬みつかれるよりも、
犬に道を譲った方が賢明だ。