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嗚呼、山本裕司先輩のお別れ会

 「山本裕司さん、お別れ会」(9月15日 毎日ホール)には、約200人が集まった。毎日新聞関係者の他に、読売新聞の元社長、滝鼻卓雄さんや日本評論社の元社長、林克行さん、早稲田中学、高校、大学の同級生、彼が主宰する「ルパン文芸」の仲間……次々に「思い出」を話した。素晴らしい「お別れ会」だった。

 20数年ぶりに、奥さんの久子さんにお会いした。

 僕が脳卒中で倒れた時、ご夫婦で、専売病院に見舞いに来てくれた。それ以来である。

 久子さんだけでなく、皆んなから「牧は山本によく似ている」と言われた。

 事件記者一筋(先輩は司法記者クラブに数年、僕は警視庁七社会に5年、所属)。二人とも徹夜で、仕事して、徹夜で飲んだ。(先輩は、淀橋警察署前の「M」に入り浸りだった。長男の運動会だというのに、二人で午前8時まで「M」で飲んだ)

 山本先輩は社会部長だった1986年、脳卒中で倒れた。47歳だった。

 僕もサンデー毎日の編集長だった1991年に倒れた。47歳だった。

 その後、山本先輩は「最高裁物語」で日本記者クラブ賞を受賞。僕も「オウム真理教報道」で受賞した。(僕の場合は個人というより「仲間の仕事」が評価された、と思うが)ともかく、山本先輩の後を走った。

 1970年だったと思う。山本先輩が、小西・反戦自衛官裁判の取材で、新潟に出張に来て、初めてお会いした。ウマがあった。

 その時、本社に戻った先輩が「新潟支局に優秀な記者がいる」と言ってくれたので、時の社会部長が急遽、毎日新聞の自家用飛行機で新潟までやってきて「政治部や経済部から声を掛けてきても断れ!必ず、社会部が取る」と言った。それで、僕の事件記者人生が始まった。(山本先輩の著書「毎日新聞社会部」211ページ)

 先輩は色々なことを教えてくれた。特ダネの取り方、権力者の懐に入り方、そして、権力者を堂々と裏切り方 ……それに、女にモテる技。先輩は艶福家でもあった。

 久子さんは「山本は4回も脳卒中で倒れたのよ。それでも、平均寿命の81歳まで生きた。頑張った。牧さんも頑張って!」と言ってくれた。

 山本先輩は、言語障害で、僕以上に苦しんだと思う。でも、筆を折らなかった。

 僕も、死ぬ寸前まで、書き続けます!

 そして、向うで、待っていて下さい。

<何だか分からない今日の名文句>

「山本は丸々社会部人間」

(大住広人さんの言葉)