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コラム「牧太郎の大きい声では言えないが」の最終回は「幻」になってしまいました!

 今日、2018年3月27日の毎日新聞夕刊には、僕のコラム「牧太郎の大きな声では言えないが」の最終回が掲載される予定でした。

 僕は3月21日午前3時すぎ、最終回の原稿を出稿しました。読んでください。

 

 【「青い空」で会いましょう】

 東京下町の花柳界で育った母は「考え方」が世間様と幾分、違っていました。

 「勉強は自分のため。成績が良い!なんて自慢するのは恥ずかしいことなのよ」「女房だけじゃいけないよ。多くの女性を助け、多くの女性に助けられるのが人生だよ」……受験勉強不要論、不倫肯定論みたいな言い草の数々。母は少数派でした。

 「医者、学者、長者と付き合え!記者とは付き合うな!」と言いながら、新聞記者との間に僕を産んだ母。僕が毎日新聞記者になった時「せめて、御用記者にはならないでおくれ!」と笑ってくれました。

 料亭を営んでいた母は「イナダイは座敷に入れない」が口癖でした。「権力を傘にきる田舎代議士」が大嫌いでした。

 そんな反骨の血が流れているのか「新聞記者の仕事は権力を監視すること」と心得ました。

 ところが、最近、新聞が「権力」になってしまったように思うのです。

 新聞業界は消費増税にあたって「購読料金の軽減税率」を求めています。活字文化の維持、普及のために、新聞は食料品などの生活必需品と同じような扱いを受けるべきだ!という主張です。知る権利を守るために……という理由は分からないではないのですが、この主張は「税の不平等」に繋がるのではないでしょうか?

 夕刊特集の紙面刷新で、コラム「牧太郎の大きな声では言えないが」は今回が最終回です。自由に書かせてもらいました。最後に「新聞の軽減税率反対」まで書いてしまいました。

 大袈裟に言えば、新聞業界を敵に回してしまった僕ですが、母は「これで良いんだよ」と言ってくれるでしょう。

 サンデー毎日の時評「牧太郎の青い空白い雲」と月刊・毎日フォーラムの「牧太郎の信じよう!復活ニッポン」の連載は続きます。「牧太郎の二代目日本魁新聞社」という個人サイトも読んでください。

 桜の季節だというのに、お別れするのは……ちょっぴり残念ですが、みなさん、ひとまず、グッドバイ!(God be with you)神のご加護がありますように。

 長い間、本当に、ありがとう。

 

 以上が、掲載予定のコラム「牧太郎の大きな声では言えないが」の最終回の原稿でした。

 実は、この原稿が、毎日新聞社で話題になったのです。

 まず、その経緯を説明しましょう。

 新聞業界が「軽減税率」を求めていることに、僕は常々、疑問を感じていました。で、思い切って、最終回で「持論」を展開しました。

 新聞は「正義」でなければいけない!と思っています。

 新聞が「軽減税率」を求めることは「不正義」ではないでしょう。

 ただ、その結果「税の不公平」が生まれてしまったら、国民はどう思うでしょうか?

 一人ぐらい「新聞の軽減税率」に反対する新聞人が居ても良いだろう!と思いました。

 毎日新聞のデスクから「書き直して貰えないか?」という注文が来ました。「新聞の軽減税率」反対の部分を他のテーマに変えてくれ!と言うのです。

 その理由は

 ①このコラムは社論と正反対である。

 ②「ところが、最近、新聞が『権力』になってしまったように思うのです」と前フリをした後で、新聞業界が軽減税率を求めていることを書けば、あたかも、新聞社自身が権力を行使したり、権力(政権与党)に働きかけて政策を動かそうとしている、という誤った印象を読者に抱かせる。それは、明らかに事実に反するし、根拠のない批判を招きかねないーーなどでした。

 ①に関しては、その通りです。が、僕のコラムは社説ではありません。一個人の意見です。社論と反対の意見にも、柔軟な対応を見せるのが「民主主義の新聞」ではないでしょうか?

 ②に関しては、むしろ、僕が一番、心配していることなのです。「軽減税率」を求める結果、新聞が政権与党に与して、安倍一強の政治状況を作っている、と批判する人まで存在するのです。

 僕は「書き直し」を拒止しました。

 信念を曲げることは出来ません。

 毎日新聞社は、僕のコラムをボツにしました。

 編集権は毎日新聞社にあります。仕方ありません。601回、書き続けて、初めての経験です。僕の最終回は、名誉ある「ボツ原稿」になってしまいました(笑)。

 「言論統制」とは思いたくありません。僕が知る限り、毎日新聞はどの新聞より、自由で個性的なメディアです。今も、そう信じています。

 たまたま、消費増税が「新聞の存続」と関係する深刻なテーマになって、意見の対立が鮮明化しただけです。

 僕のコラムを“材料”に、我々は「新聞とは何か?」を真剣に議論しました。久々に、緊張感を楽しみました。

 この意見の対立は、新聞が抱える「営業が大事か?自由な言論が大事か?」の“究極の選択”に関係します。だから、議論は白熱しました。だから、深刻でした。

 毎日新聞の仲間に感謝しています。新聞の誇りを守るために、我々は議論しました。ありがとう。

 編集編成局のトップと僕の間に挟まって、苦労された仲間には、お詫びします。ごめんなさい。

 ただ、最終回の不掲載で、長い間、応援してくれた読者の皆さんに「サヨナラ!」のご挨拶が出来なかったことが気がかりです。

 読者には、僕の意見を「知る権利」があったはずです。

 で、皆さんに、お願いがあります。

 ネットを通じて「牧太郎の大きな声では言えないが」の《幻の最終回》は「牧太郎の二代目日本魁新聞社」で読めます!と伝えて欲しいのです。職場で、学校で、家庭で、この話を広めて欲しいのです。

 たった一人「新聞の軽減税率」に反対した「名も無き新聞人」がいたことを覚えてもらいたい! そんな気分なのです。

  お願いします!

<何だか分からない今日の名文句>

新聞は常に反権力でありたい!