「最後の反権力記者・岸井成格」が僕より早く逝っちゃった
15日夜8時、鳥ちゃん(鳥越俊太郎)から携帯。「岸井が亡くなった!」
肺がんが脳に転移した、と聞いていたので心配していたが……それにしても……ジワっと涙が出て困った。
ニュース番組のコメンテーターで人気の岸井成格は1967年に毎日新聞に入社した同期。初めて会ったのは中央大学の講堂で行われた入社試験だった。
近くの席で、受験した岸井に、毎日新聞社員と思き男が「おぼっちゃま!」と呼んで、やって来た。
「アイツ、何者だ?」
後で、分かったことだが、岸井の親父さんは毎日新聞の副社長で、衆院議員を務めた人物。
「こいつは、黙っていても合格だな」と嫉妬した記憶がある。
東京オリンピック後の大不況。就職難だった。
毎日新聞社には約2300人が応募して、記者職での合格はたった17人。(一人は、合格後、過激な学生運動で逮捕され、入社取り消しになった)
岸井と、もう一人、「元経済部長」の倅・嶌信彦も強力なコネ?で合格した。
岸井と嶌は慶応卒。といっても、二人とも、泥臭いところもあって、早稲田の僕とは気があった。
嘘か、本当か、分からないが、将来、期待される新入社員の初任地は「東京から遠いところ」と決まっているという噂だった。で、岸井は長崎支局、嶌は秋田支局だった。
岸井は同期生より一年早く、東京本社政治部に配属された。特別、扱いだったように思う。
岸井は政治部の王道ばかり歩いた。僕が官邸キャップの時、岸井は平河クラブのキャップ。当時、官邸より「平河」=自民党担当の方が、格が上だった。
岸井とは、冗談で「お前、政治部長になれ!俺は編集委員で良い。その代わり、俺が社長になったら、お前は副社長で我慢しろ!」と言ったりした。
その冗談が当時の斎藤明社長の耳に入り「人事に口を出すな!」と言われたこともある。
岸井は嶌とそろってワシントン特派員になった。岸井は予想通り、政治部長になり、論説委員長、主筆などを歴任。まさに、出世の一直線だった。
TBS日曜朝の情報番組「サンデーモーニング」などテレビやラジオなどに数多く出演。「毎日新聞と言えば岸井」だった。
(嶌は上役と喧嘩して、経済部長就任寸前、退社。岸井より早く、テレビで活躍した)
岸井は、2013年から16年までTBSの夜のニュース番組「NEWS23」でアンカーを務めた。歯に衣着せぬ「反安倍」を展開する。
安倍さんにとっては、もっとも嫌な記者だったろう。政権は「岸井を辞めさせろ!」と、TBSに圧力を掛けている。
そんな中、ガンが岸井を蝕っていた。
彼は酒が大好きだった。幾分、酒乱気味だったが、みんな、それを許した。人徳だった。
でも、酒が、彼の寿命を短くしたのだろう。73歳で逝くなんて……
もう一度、奴と飲みたい。喧嘩したい。
待ってろ! ちょっと、遅くなるけど、辛口の日本酒を持って行くから。
<何だか分からない今日の名文句>
スターに会えて良かった