名牝・ウオッカがダービーに優勝した翌日、安倍首相の「一の子分」が自殺した
「令和」の裏話も、ゴーンの「4度目の逮捕」も書きたいテーマはあるが……今日4月5日は「ウオッカ」のことを書きたい。忘れられない「思い出」があるからだ。
名牝ウオッカが、配合のため滞在中の英国ニューマーケットで、蹄葉炎のため現地時間1日午後に死亡していた。びっくりした。15歳。早死だ。
ウオッカは2004年4月4日、北海道静内町のカントリー牧場で生まれた。親しくさせていただいた谷水雄三さんの持ち馬。父タニノギムレット、母タニノシスター。
谷水さんは自分の馬に「タニノ」という冠をつけていたが「ウオッカ」は初めての「冠なし」。「良い名前だろう」と自慢するので、デビューから「ウオッカ」の馬券を買い続けた。
強かった。直線に入ってから、爆発的な「鬼脚」。牝馬とは思えない。
GI・阪神JFを制し、2歳女王に輝くと、翌2007年は桜花賞で、生涯のライバル・ダイワスカーレットと激突。惜敗すると、何と、オークスではなく、牡馬相手の日本ダービーを選択した。
2007年5月27日。東京優駿(日本ダービー)。友人のタレント「みのもんた」を誘って、一緒に観戦した。
「みの」さんは初めての競馬観戦だった。その「みの」さんのところへ、来賓席の安倍首相から携帯。「こっちへ来たら?」と誘われたようだが「みの」さん、適当な理由をつけて、僕と一緒に観戦した。
総理大臣が、テレビの情報番組のキャスターを大事にしているのに驚いた。
この時、ちょっと気になったのは、総理大臣がダービーに来ているのに、所管の農水大臣が欠席していたことだった。
当時の農水大臣は「安倍さんの一の子分」と評判の松岡利勝さん(亀井派だけど)。農水省のお役人から政治家になったので「ダービー」には「特別の思い」があるはずだが……何故か、欠席?
実は、この頃、彼の資金管理団体「松岡利勝新世紀政経懇話会」の“妙なカネの流れ”が問題になっていた。 安倍さんから「ダービーを遠慮してくれ!」と言われたのだろう。「松岡疑惑」は第一次安倍内閣に取って、致命傷に成りかねない事態だった。
さて、運命のダービー。ウオッカは滅法、強かった。17頭の牡馬をなぎ倒し、レコードの2分22秒1。手綱を取った四位洋文は「もう(騎手を)やめてもいい」とまで言った。
1937年のヒサトモ、43年のクリフジに続く史上3頭目の牝馬制覇。日本中が驚いた。
僕の馬券は的中した。3連単3-16-14。2039番人気で、215万5760円。僕の競馬人生で、最高配当額である。僕は「ウオッカ」に酔っ払った。
その翌日である。朝のワイドショーで「みの」さんが止せば良いのに「友達が万馬券を取った!」と話したので、記者仲間から「奢れ!」という電話が3件。でも、満更でもない。まだ「ウオッカ」に酔っていた。
ところが、1時間後、真っ青になった。松岡農水大臣が衆議院議員宿舎(新赤坂宿舎)で首を吊っている所を警護官らに発見された。
警視庁本部指示の下、救急車で高度な救急医療に対応している慶應義塾大学病院にまで運ばれたが既に心肺停止状態。死亡が確認された。
覚悟の自殺?。(一部に他殺説もあったけど)「ダービーに行けなかった」のが、彼を更に追い詰めたのだろうか? 62歳だった。
戦前・戦中の旧憲法下も含め、日本の内閣制度発足以後では2人目の現職閣僚の自殺である。暫くして、安倍さんは政権を投げ出した。
「ウオッカ」の大活躍の裏に「歴史的な出来事」が隠されている。
ウオッカは更に強くなった。2008年天皇賞・秋。ダイワスカーレットとの2センチ差の激闘を制した。通算成績は26戦10勝。獲得賞金は13億3356万5800円。
ウオッカは「平成」を駆け抜けた。感動を振りまいて、走り続けた。
繁殖牝馬としても「仔出し」が良い。7頭も産んだ。今年の1月28日に産まれた「父フランケルの牝馬」を期待しているが、どうだろうか?
思い出をいっぱい残してくれた名牝・ウオッカ!
ありがとう!
<何だか分からない今日の名文句>
ダービーはいつも「運命のレース」