新元号に「光風」を支持する理由?「内なる光」がないと「躓く」からだ!
昨日4月3日のブログで
《新元号「令和」にイチャモンを付けるつもりはない。良い名前だ!と思う。(「光風」はもっと好きだけど)》と書いたら、例の元官僚の友人から「何で『光』に拘るの?」と言われた。
何故?と言われても……あえて言えば、日本人が「躓い」てばかりいるからだ。
何も見えない! 本質が見えない。だから、躓く。
特に、指導者が拝金主義に堕ちいて、何も見えなくなっている。
「目」がない。「肉眼」のことではない。「心眼」とでも言うか?「心の内なる光」がないから躓く。
サンデー毎日の「牧太郎の青い空白い雲」は、今週号(4月14日号)から「平成の総括」を書き始めたが、調べれば、調べるほど「歪んだ現実」に直面して唖然とする。
(今週号の「平成とは――身分格差に立ち向かうアウトローがいなかった!」では、歪んだ「法律万能主義」を批判した。何事も「法律万能」で「弱きを助け、強きをくじく」というアウトローの言い分は抹殺された。読んでくれ!)
法律が右だ!と言えば「右」が正義。法律は左だ!と言えば「左」が正義だーーと勘違いする。
現代人は法律ではなく「内なる光」で万物を照らすことが苦手だ。
「内なる光」を意識しよう!
そんな気持ちで「光」の入る元号を期待した。それだけのことだ。
それより、元号絡みで「ちょっと良い話」を聞いた。
書きたいのだが……話してくれた人に迷惑になるので……どうしたものか?
<何だか分からない今日の名文句>
「一隻眼」
(眉間に大きな水晶玉を入れた仏像)