新潟記念は惜しかったが、新発田の「御水飴」をゲット!
9月に入った。
1日は「調布の悪友」と新潟競馬観戦。JRA年間プロモーションキャラクター、女優の土屋太鳳が新潟記念の表彰式でプレゼンターを務める!とあって、大盛況。大混雑。
「土屋人気」は並ではない。
で、その新潟記念。金曜(8月30日)のブログで“前発表”したように「名前が良い」という理由でブラックスピネル(松若風馬騎乗)で勝負!
前走14着。10番人気だから、3着以内に入れば○○万円ゲット?の 夢馬券だ。
予想通り、逃げた。最後まで逃げた。でも……4着。惜しかった。
でも、楽しかった。
前夜、地元テレビ局の社長さんと「ピーア軒」のタンシチュウを堪能。
競馬場では、一年ぶりに「新発田のご意見番」と再会した。
「ご意見番」から「菊谷・御水飴」を頂いた。 「菊谷」は慶長18年(1613年)創業の老舗。江戸時代に新発田を治めた溝口家の御用達で、もち米と麦芽だけを使う。無色透明の水飴とは違い、砂糖を使わないので「飴色」だ。
江戸時代には、参勤交代の際、江戸への土産物として重宝され、大奥の女性に献上。その代わり「秘密の情報」をゲットしたらしい。
(「菊谷」は新潟県新発田市大栄町7-4-23 0254-22-2509)
「ご意見番」の話によると「御水飴」の創業家・秋山谷平の祖先はフランスに留学。さくらんぼの種を日本に持ち帰っている。
これが「日本最古のさくらんぼ」?
(「さくらんぼ」はローマ時代からあった。黒海沿岸からヨーロッパ諸国へ伝わり、特にイギリス・フランス・ドイツで普及。名称がノルマン人によってシェリーズ (cherise) となり、イングランドに渡ってシェリー (chery) となり、英語のcherryになった。16世紀ごろから本格的に栽培されるようになり、17世紀にはアメリカ大陸に伝えられた。その頃、日本にも、普及したらしい)
勉強になる。
夜は馬券の反省会。一人、黒崎の枝豆で一杯。
さて、もう少し、第二の故郷?新潟に滞在するか?
<何だか分からない今日の名文句>
旅ゆけば、越後の国に「茶豆」の香り