(封建時代の)昔なら、東京電力の旧トップは切腹した?
東電原発事故裁判、9月19日の判決は「旧経営陣は無罪!」。業務上過失致死罪は成立しなかった。
裁判の争点は、2008年2月に勝俣恒久・元会長、武黒一郎・元副社長、武藤栄・元副社長の3被告が参加した「御前会議」だ。東電の地震対策センター所長だった山下和彦氏の供述調書と社内資料にあるように、東京電力は、国の地震予測「長期評価」を採用して簡易計算した津波予測と対策を了承したのか?否か?が最大の争点である。
この「御前会議」をどう見るかで、裁判の結果は左右される。
確かに微妙だ。微妙だが、常識的に考えれば、旧トップはこの時点で「津波予測」を認識していた。
これは「有罪」だ。「有罪」じゃないと、世間が納得しない!(東京電力には知人が多い。でも……はっきり言うが「有罪」なのだ。多分、電力マンの多くがそう思っている)
全くの推測だが、勝俣さんは(個人的に)「有罪だった方が良い」と思っていたのではあるまいか?
江戸時代、武士には「切腹」が認められた。(封建時代だから、町人には「名誉ある自死」は認められなかった)
なぜ、切腹なのか?
新渡戸稲造は『武士道』(1900年刊)の中で「腹部には、人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰があったから」と説明している。
勇壮に腹を切ることが「武士道」だった。
主君に殉ずる「追腹」、職務上の責任や義理を通すための「詰腹」、無念のあまり行う「無念腹」……武士は切腹を選んだ。
東京電力の旧トップは全ての責任を取り、潔く“切腹”したかったのではあるまいか?
それを許さなかったのは、今でも「原発」輸出で儲けよう!とする「今の日本国」があるからだ。
その「国家の薄汚い意向」を一番よく知っているのは東京電力の経営者だろう。
ああ、遣る瀬ないじゃないか?
<何だか分からない今日の名文句>
国策裁判?