安倍ちゃん、間違えてはいけないよ。「ヤジ」が悪い!のではない。「下手糞なヤジ」が悪いんだ。
17日、安倍首相が「不規則な発言をしたことをおわびします。今後、閣僚席からの不規則発言は、厳に慎むよう総理大臣として身を処してまいります」と謝ったそうだ。新型肺炎のことばかり、気になって知らなかった。
しかし、嫌なニュースだなあ。
「ヤジ」は文化である。謝る必要は断じてない!と僕は思う。
ジャーリストの面々が常々、政権を批判するのも「ヤジ」の一種だ。ヤジは即「言論の自由」ーーである。断じて「ヤジ」は「悪」ではない!
問題になるのは……ちょっと批判されると「すぐキレる総理大臣」「ヤジが下手糞な総理大臣」の存在なのだ。
安倍ちゃん、大先輩「ヤジ将軍・三木武吉」さんのことを勉強しろよ。
三木武吉が初当選した1917年(大正6年)の衆議選。相手候補が「名前は言わないが、某候補は家賃を2年分も払っていない。米屋にも、1年以上ためている。このような男が、国家の選良として、議政壇上で、国政を議することができるでありましょうか。この一事をもってしても某候補のごときは、いさぎよく立候補を辞退すべきだ」と批判した。
すると、新人候補の三木は次の演説会場で「某候補がしきりと、借金のあるものが立候補しているのはけしからんと、攻撃しているそうだが、その借金がある某候補とは、かく言う不肖この三木武吉であります。三木は貧乏ですから、借金があります。米屋といわれたが、それは山吹町の山下米屋であります。1年以上借金をためているといわれたがそれは間違いで、じつは2年以上もたまっております。家賃もためているのは2年以上ではない。正確にいいますれば、3年以上も支払いを待ってもらっておるわけです。間違いはここに正しておきます」と演説。会場は爆笑。
「えらいぞ、借金王」と野次が飛んだ。
(会場に山下米店の主人もいて「私は米屋の山下です。どうか皆さん、三木先生をご支援願います」と応援して、三木は当選した)
安倍ちゃん、これが「切り返し」というものだよ。
戦後1952年(昭和27年)の衆院選の立会演説。ある候補から「戦後男女同権となったものの、ある有力候補のごときは妾を4人も持っている。かかる不徳義漢が国政に関係する資格があるか」と批判された。
すると三木は「私には妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。5人の女性たちは、今日ではいずれも廃馬と相成り、役には立ちませぬ。が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」と堂々と認めた。この時も大爆笑だった。(僕の師匠・政治評論家・戸川猪佐武さんが評伝『小説 三木武吉』で書いている)
三木の「ヤジ」も素晴らしかった。
原敬内閣の高橋是清大蔵大臣が海軍予算を説明中、「陸海軍共に難きを忍んで長期の計画と致し、陸軍は十年、海軍は八年の…」と言いかけたときに「ダルマは九年!」とヤジった。国民は我慢しなければならないのか?そう言いたかった。(高橋のあだ名は「達磨大師」)
また、ある時は、何の抑揚もないお経のような調子で、提出法案の趣旨説明をするのを見て、一区切りついたところで「次のお焼香の方、どうぞ」とやって、議場は爆笑に包まれた。
ヤジはユーモア!である。
ヤジは「命懸け」でもある。
戦時中の1943年(昭和18年)6月17日の夜に行われた翼賛政治会代議士会。
戦争反対の中野正剛議員が、戦争遂行の是非をめぐり「おおよその権力の周囲には、阿諛(あゆ)迎合のお茶坊主ばかりが集まる。これがついには国を亡ぼすにいたる。日本を誤るものは、翼政会の茶坊主どもだ」と発言。主流派議員が一斉に中野を口撃する。命懸けの「反戦演説」を押す潰そうとするのだ。
その時、三木は突如、立ち上がり「茶坊主ども、黙れ!」と叫んだ。
主流派議員たちは黙ってしまった。
ヤジは「正義」でなくてはならない!
<何だか分からない今日の名文句>
三木の最後の言葉「こどもを頼む」
(妾もたくさん、子もたくさん。
「さて、どの子のことか?」と
周囲は困ったが、実は
「こども」は「子ども」ではなく
「こだま=児玉誉士夫」(右翼の大物)だった