三島由紀夫の割腹から50年。なぜか「漱石の自転車」を思ったりして
今日11月25日は、作家・三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した「あの日」から50年。
あの日、僕は25歳。毎日新聞新潟支局に勤務する「駆け出し記者」だったが、情報を集めるのが下手糞で何が起こったのか?何も分からず……ただただ「天才の狂気」のようなものを感じるしかなかった。
サンデー毎日だけに載った「激」の全文を読んでみても、死を選んだ「決断」が、どうにも理解できなかった。
今週、発売中のサンデー毎日に
<三島由紀夫 自決から50年 死に場所に呼ばれた元本誌記者・徳岡孝夫述懐 死の淵へ背中を少し押してしまった気がする>
が掲載されているので、よく読んで見て、少しは分かったような気もするのだが……
どうにも、僕には「憂国の情」が分からない。
昨日「競輪という世界」 (文春新書)という本が送られてきた。競輪好きの後輩に、筆者の一人、堤哲先輩が送ってくれた。ありがとう。すぐ読んだ。
その中に、夏目漱石の「自転車日記」に関する記述があった。
漱石は1900年(明治33年)に33歳でロンドンへ国費留学したが、異国の地で神経衰弱を悪化させる。
その時、下宿の太ったオバさんに「自転車に乗ったら良い」と言われ「乗るぞ!」と決意。何度も転んだりした。
元気になって、漱石は自身の「出来の悪い姿」を描いた。
この本はこれを「競輪文学の始まり」と書いているが、それはともかく「天才の生き方」は様々だ。
<何だか分からない今日の名文句>
自転車乗りで
「吾輩は猫である」を考えた?