芥川龍之介は「ぼんやりした不安」で自殺したけど、いま、日本の若者も……
「暗愁」とは何だろう?
ぼんやり、考えている。
「暗愁」とは、例えば……芥川龍之介が言う「ぼんやりした不安」ではないのか?
友人・久米正雄に宛てたとされる遺書「或旧友へ送る手記」の中で、芥川龍之介は
<僕は何ごとも正直に書かなければならぬ義務を持つてゐる。僕は僕の将来に対するぼんやりした不安も解剖した。それは僕の「阿呆の一生」の中に大体は尽してゐるつもりである。唯僕に対する社会的条件、――僕の上に影を投げた封建時代のことだけは故意にその中にも書かなかつた。なぜ又故意に書かなかつたと言へば、我々人間は今日でも多少は封建時代の影の中にゐるからである>と書いている。
「ぼんやりした不安」は封建主義と関係するのか? 彼が言う「封建主義」って何だろう?
もしかして「全体主義」のことではないか?
そんな気がする。
みんなが「同じように生きる」ことを強制される不安?ではないのか。
<世の中で言われる病気の苦しみや精神的な苦痛は自殺の動機の全部ではない>
<僕の場合はただ将来に対する「ぼんやりとした不安」だ>
<「生きるために生きている」われわれ人間は哀れだ>
とも書いている。
そして、芥川は死を選んだ。(1927年(昭和2年)7月24日、雨の降りしきるなか、田端の自室で芥川龍之介は服毒自殺。遺書「或旧友へ送る手記の中では自殺の手段や場所について具体的に書かれ、「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた」と書いてある)
「生きるために生きる一生」で終わってしまって良いのだろうか?
しかも、全体主義で、戦争を始める日本国で……?
それが芥川の問題提起。「暗愁」だった。
あの頃から100年近く経って、世界は戦争ではなく、コロナ騒動。新たな全体主義を感じてならない。
ともかく、世間は窮屈になった。
アレも駄目!コレも駄目!3人で会食したらアウト!夜の銀座に行ったらアウト!
これ、全体主義ではないのか?
もしかして、日本の若者が自殺願望に走ったら……だから「暗愁」なんだ。
<何だか分からない今日の名文句>
食て寝て起きて糞垂れて
それが人生か?