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「日本最後の仇討ち」から約150年。サムライが居なくなった!

 毎朝、旅チャンネルを見る。

 今日10日は午前6時から「秘境駅の旅」   南海電鉄高野線紀伊細川駅と紀伊神谷駅への旅。

 神谷駅の近くに「日本最後の仇討ち墓所」がある!と知った。

 和歌山県高野町神谷で明治4年(1871年)2月30日に、この地で仇討ちがあったらしい。

 「仇討ち」は、親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすこと。

 江戸時代、武士階級で慣習として認められていたが、これを最後に、国の近代化に伴い「仇討ち」は廃止された。

 で、午前中、少し「仇討ち」を勉強してみた。

 神谷駅近くの復讐劇の起こりは、9年前の文久2年(1862年)の赤穂藩主・森家の家督争いが原因で、起こったものだが、コレ以外にも「最後の仇討ち」があったらしい。

 勉強の成果……

 【明治元年となる慶応4年。秋月藩執政の臼井亘理は開明派。守旧派の反感を買い、家老・吉田悟助の命を受けた干城隊の襲撃を受け、妻ともども残忍に殺害される。

 藩の裁定は臼井殺害の犯人を罰せず、かえって臼井家を罰する不合理なもので、亘理の息子・臼井六郎は周囲の反対にもかかわらず「敵討ち」を明治13年、決行した】

 それを「最後の仇討ち」とする向きもある。

 いずれにしても、「神谷の仇討ち」の2年後、江藤新平が出した「復讐禁止令」により、明治政府は「敵討ち」を禁止した。

 (臼井六郎の仇討ちは「復讐禁止令」が施行された後。だから、オフィショルな「最後の仇討ち」は「神谷の仇討ち」と言うことになる)

 武士は士族となり、廃刀令によって帯刀も認められず、存在意義が無くなる。

 こうして「日本のサムライ」は居なくなった。

 考えてみれば、それから「潔い日本男子」は徐々に少なくなったのだろう。

 昨日9日の国会審議。

 例の神田財務副大臣が「税金滞納問題」を追及されると

 「議員の職務が忙しくなる中で、郵便物を見ることが遅れた」

 「(税務署からの)督促状をあまたある書類の中から発見した時には納付した」

 ああ、下手くそな言い訳(笑)

 それにしても、情けない。

 日本には(特に政界に)「サムライ」が居なくなってしまった。

 神田さんは2018年、統一教会の青年イベントに出席して「文鮮明先生、韓鶴子総裁」「わたくし自らも皆さまのお仲間と共に定例の家庭集会をさせていただき、日々、文鮮明先生のこれまでの話等々に感銘を受け学習させていただいておる一人でございます」

 「票」が欲しけりゃ、何でも「お世辞」を言う。

 ああ、サムライが居なくなった。

<何だか分からない今日の名文句>

士道とは、忠誠・名誉・尚武。