Daily Archives: 2024年1月29日

『さそり』の桐島聡「拘束」騒動で「奇跡の事件記者・村上克」を思い出した!

 半世紀前、日本列島を震撼させた連続企業爆破事件。

 指名手配されていた過激派「東アジア反日武装戦線『さそり』」メンバーの桐島聡容疑者が「本当の名前で死にたい」と名乗り出た。

 「ウチダヒロシ」と名乗り、神奈川県内の工務店で数十年にわたり、住み込みで働いていた!という話だが、まるでドラマを見ているようだ。

 どんな気持ちで、生き延びていたのか?

 連続企業爆破事件の頃、僕は毎日新聞警視庁クラブに所属していた。担当は「2課(知能犯)4課(暴力団)」。それでも、連続企業爆破は「50年に1度の大事件」なので、「担当」は違っても、犯人探しに苦労した。

 多分、昭和50(1975)年5月19日だったと思う。

 産経新聞の朝刊が「爆破犯 数人に逮捕状」という大スクープを放った。

 真っ青だった。

 実は、毎日新聞は事件に強かった。(NHKのドラマ「事件記者」のモデル。だから、毎日新聞を志望し、事件記者になりたかった)

 それが、今回だけは、完全に産経に負けた。ショックだった。あの日のことは忘れない。

 誰が、スクープしたのか? 興味があった。

 暫くして「抜いたのは、村上だ」という話が入って来た。

 村上克じゃないのか? 駆け出しの新潟支局時代のライバル、というより「仲間」だった。

 いつも新潟日報に抜かれてばかりだった「出来の悪い」記者仲間だったのに(笑)

 村上は、警視庁捜査1課担当で、連続爆破の「目撃者捜し」と「鑑識の物証」に狙いを定め、一連の爆弾事件11件のうち、半分ぐらい、爆弾の容器と構造をスクープしていた。

 産経新聞は「連続企業爆破事件の犯人グループ,きょういっせい逮捕」のスクープで、1975年度の新聞協会賞を受賞した。

 村上はスクープ記者に変身して、新聞協会賞まで受賞。それに比べ、当方は相変わらず「特ダネゼロ」なのに。正直言って、ショックだった。

 それだけではない。村上は、その翌年、東京・西新井の産院で起きた乳児・幸恵ちゃん誘拐事件の「幸恵ちゃんは無事だった!足立の産院誘かい事件,留置の女性,けさ再逮捕」をスクープ。史上初の2年連続新聞協会賞を受賞した。

 村上は(僕の知る限り)日本一の特ダネ記者になったのだ。勝負にならない。

 彼は後輩に「後日談」を披露している。

 【1975年の仕事納めの日、捜査1課長官舎に各社が集まり、打ち上げをやった。「今年は産経の年だったね」と捜査1課長が褒めると、ある社の担当記者が「そうじゃない。あれは産経の公安担当が勝ったんだ」と言った。この事件は最後、公安の世界。その言葉が当たっていただけに、逆に悔しさがこみ上げた。「来年、完璧に抜いてやる」と思った。

 そこで、当時、捜査1課が抱えていた最大の未解決だった乳児誘拐事件に的を絞った。事件の全容は見えたが、知り合いの捜査員からゴーサインが出ない。連続企業爆破事件と同じで、「いつやるか」だった。そして、その日はやってきた】

 村上は「執念の記者」になった?

 『さそり』桐島聡の身柄拘束を知り、生きている間に、村上記者のインタビューを読みたい気分だが、桐島は29日朝、死亡。残念だ。

 50年前の日本はどうだったのか? 機会があったら、村上に会いたいな。

<何だか分からない今日の名文句>

スクープへ虚実織り交ぜ

       走るペン        

(瀬田明子)