鈴木財務相に申し上げる!父・善幸さんは貧乏人を助ける「正義漢」だったのに
政治資金問題に絡み、鈴木俊一財務相が「収支報告書に記載されていなかった収入について、納税するかどうかは、議員が判断すべきこと」と発言して”大騒ぎ“になった。
「納税は議員の判断」ということは、我々、国民も各自の判断で「納税しなくても良い」ということか?
「納税の義務」が「納税の自由」に変わった歴史的な発言である(笑)
鈴木さんは如何にも「温厚」。党内の調整に、それなりの力を発揮してるようだが、どうやら「判断力」に欠けているらしい。
失礼だが、政治家としての「決意」「覚悟」のようなものがない。
確か16歳の頃、僕は初めて「大臣」という偉い人にお会いした。
青少年団体「郵便友の会」の全国委員長に選ばれ、狸穴の郵政省に出向き、時の郵政大臣、鈴木善幸さんに挨拶した。
「外国の若者と文通を通じて、仲良くなって下さい」と言われ、約10分間、雑談した記憶がある。「優しい人」という印象だった。
それから、何年か経って、善幸さんは第70代内閣総理大臣臣。僕は毎日新聞の記者。社会部国会クラブに所属していて、再会した。
もちろん、善幸さんは、僕のことなど忘れていたけれど、政治部記者だけでなく、政権に批判的な社会部記者にも、それなりに対応してくれた。
善幸さんは、所謂「世襲議員」ではなかった。
岩手県下閉伊郡山田町で、アワビ、スルメ漁、水産加工業を営む網元の家に生まれた。
岩手県立水産学校を経て水産講習所(元・東京水産大学現・東京海洋大学)に入学。肋膜炎を患い1年休学して、実家での療養している最中に「昭和三陸地震震津波」に遭遇した。
被害の大きさ。でも、政府は何もしない。
彼は「貧乏人の味方」になりたい!と思った。学生時代、弁論大会で「網元制度の前近代性」を指摘して、周囲から「善幸はアカだ」と言われ、卒業しても、多くの企業から「不採用」になった!と聞かされた。
1947年(昭和22年)、衆院選で初当選しているが、この時、善幸さんは日本社会党からだった。(「社会革新党党」と言う、勇ましい名前の政党に居たこともある)
善幸さんは「水産関係の政策実現」のため、自民党に入り、大平首相の急死で「総理・総裁」になったが、彼は常に「貧乏人の味方」だった。
(善幸さんは、平和の「宏池会」の所属だったが、闇将軍・田中角栄に近く、総理に選ばれたように記憶している)
鈴木財務相の父、善幸さんは僕の「大好きな政治家」の一人だ。
善幸さんの倅が悪徳政治家の味方をしているとすれば……ああ、情けない!
<何だか分からない今日の名文句>
Zenko who?
(首相就任時、自民党のお友達
アメリカのメディアは 「ゼンコー フー?」と驚いた)