斎藤明さんのこと「島清恋愛文学賞」のこと

 政治部の先輩、斎藤明さん(毎日新聞社元社長)が13日、腎細胞がんで亡くなった。79歳だった。
 斎藤さんは「ライシャワー元駐日大使の核持ち込み発言のスクープ」で、日本新聞協会賞(編集部門)を受賞した、優秀な記者だった。
 僕が、社会部から政治部に異動した日、当時、政治部筆頭デスクだった斎藤さんに「今夜、僕の(赤坂の)マンションに来い」と誘われた。
 行って見ると、先輩のKさん、後輩のO君が来ていて「我々と一緒にいい紙面を作ろう」と言われた。
 当時、自民党の派閥ごとに取材体制を組む、旧態依然とした政治部の取材に批判的だった僕は、この誘いを「自民党福田(赳夫)派」寄りのグループに入れ!という意味……と解釈して、斎藤さんと距離感を持つようになった。(斎藤さんは福田さんと「縁続き」だった)
 派閥政治を批判する新聞記者な立場なのに……自ら社内派閥を作るなんて!怒りさえ感じた。
 後で考えてみれば、優秀な先輩の近くにいて「人脈」を盗む方が良かったのかも知れないが……若気の至り(笑)だった。
 斎藤さんとは最後まで「意見」が合わなかった。
 それでも、社長になった斎藤さんは、小渕内閣の頃、首相の諮問機関「日本の構想」に参加しろ!と指名してくれと、勉強する機会を与えてくれた。(「内閣批判をさせない陰謀」という風にも思えたが)
 まあ、新聞記者は「流儀」が違うと……失礼の段、お許し願いたい。
 16日、美川町長だった竹内信考さんから「『第20回島清恋愛文学賞』の贈呈式が11月22日に決定!今のうちから日程を調整せよ!」という手紙が来た。
 「島清恋愛文学賞」は、竹内さんが、町長だった1994年、美川町(石川県白山市)出身の作家島田清次郎にちなんで創設した、日本でただ一つの恋愛文学賞。
 美川町が合併して、白山市が運営していたが、財政が苦しく、2011年を最後に廃止された。
 しかし、この仕打ちに?竹内さんらは憤慨。
 自ら「日本恋愛文学振興会」を作り、存続させているのだ。
 その20回の贈呈式を東京で行うらしい。民間の寄付で支えるのは……限界があると思が…。
 島田清次郎は明治32年生まれ。弱冠20歳で、発表した「地上」が50万部を売り尽くした。
 彼の母親は金沢市内の茶屋街(西廓)で貸座敷も営んでいたのだが、この茶屋街で、嫌々客をとらされる女達。貧乏故に恋愛も許されない若者。そして、何もしないで、遊びほうける 政治家・官僚。
 政治批判の恋愛小説。僕の「流儀」に合っているかも。
 さて、この週末は競馬もせず、野暮用の日々。
 23日に「宝塚記念」の阪神競馬場に行く予定なので、今のうちに、野暮用を片付かないと。頑張るぞ!

<何だか分からない 今日の名文句>
恋愛と堕落は永遠不変のテーマ