皇太子・雅子様の取材の「思い出」
8日の毎日新聞朝刊「ひと」欄に、創業100年の岩波書店社長に就任した岡本厚さんが登場した。
入社から30年余、総合雑誌「世界」の編集一筋の岡本さん。「牧太郎のマスコミ日記」をかなり長く連載してくれた。
編集長を女性に任せ、難しい時期、老舗出版の「舵取り」をする。
何でも、挑戦するタイプで長期拘束された外務省事務官、佐藤優さんを「物書き」として発掘、スターにした。
「ひと」欄の取材に岡本さん「思想や哲学、科学の原理や名作文学は、それを伝える本がなければ存在し得ず、近現代も成り立ち得なかった。人間社会が今のようなものである以上、本や出版は絶対に必要なのだ」と話しらしい。
頑張って欲しい。
皇太子さまと雅子さまの「結婚の儀」が行われたのが、1993年6月9日。
9日夜、BSで「結婚20年」の記念番組が放送された。
お二人のご結婚には「思い出」がある。
1991年秋、サンデー毎日の編集長だった僕は、ご結婚報道で民族派の方々の「お怒り」を買い、抗議に来られた人に「ピストルを持って来た!」と脅された。
「また、会いましょう」と平然と対応。再会を約束したのだが、数日後、僕は脳卒中に倒れたしまった。結構、精神的に辛かったのかも知れない。
退院した1992年。その12月。今度は、同僚記者だった「たまちゃん」から相談を受けた。「今、小和田家に極めて近い人とスキー場に来ているんですが、雅子さんが結婚にはOKした」というのだ。
信頼出来る情報だった。
「皇太子、雅子様とご結婚」のスクープである。
相談されたが、この時、編集長を辞めていたので、判断出来ない。
「書こう!」と主張したが、新しい編集長は二の足を踏む。
そのうちに取材協定が出来あがり、「翌年1月6日発表」になってしまった。
「ホロ苦い思い出」だった。
<何だか分からない今日の名文句>
迷ったら書く!