お祖父さん所縁の早矢仕ライスを食べる

 5日昼、野暮用で日本橋界隈を歩いていたら「早矢仕ライス」の看板が目に入った。
 高島屋の筋向い、洋書の「丸善」の前である。
 「丸善」には縁がある。
 「丸善」の創業は、明治2年1月1日(1869年2月11日)。創業時の社名は「丸屋商社」。その登記簿に、代表者として「丸屋善八」という架空の人物の名前があり「丸善」になったらしい。が、本当の創業者は福澤諭吉の門人・早矢仕有的(はやしゆうてき)である。
 「丸善」は世襲が基本だった当時の商習慣を廃し、所有と経営を分離するなど、事実上、日本初の近代的会社として知られている。
 僕の母方のお祖父さん「牧文次郎」は早矢仕有的に雇われた番頭だった。(姉が亡くなって、お祖父さんは「丸善」を辞め、料亭「柳橋・深川亭」の跡を継ぎ「5代目深川亭文吉」になった)
 お祖父さんは、僕が生まれる前に亡くなったから、残されたエピソードは少ない。
 でも、柳橋で一番の色男?だったこと、上海に行ったこと、浅草の芸者さんに、子供を産ませたこと、それに、若い頃「丸善」で夜食に出る「飛び切り美味いハヤシライス」を食べたこと……が言い伝えられている。
 これが「お祖父さんが食べたハヤシライス」なのか?
 三階のレストランで、早速、注文した。
 真っ黒いハヤシライスだった。確かに美味い。でも、お袋が言っていた「牛肉と野菜のごった煮のようなもの」とは、ちょっと違う。
 はっきり言えば、肉が少ない。探したが、やっと、一切れ、あっただけだった。
 『丸善百年史』によれば、医師だった早矢仕が作った滋養の強い入院食、と言われていたらしく……肉はもともと少なかったのか?
 まあ、良いや。
 それにしても、明治の時代、洋書を読み、上海で遊び、ハヤシライスを食べたお祖父さんはカッコ良かった。
 羨ましい。
 夕方、関西から、親しい友人来訪。「上司が国会に呼ばれたので、同行した」とのこと。
 苦労が多い、と推測するが……元気になって良かった。
 夜、メールを見ると同僚記者から「経済誌の週刊ダイヤモンドのウェブ版の、降旗学さんのコラムで牧太郎さんが取り上げられてます」という知らせ。
 「風俗と慰安婦とアメリカ兵の問題 橋下発言と、その報道に思うこと」という一文。
 「ジャーナリズム系のコラムを書かせたら、この高山正之、毎日新聞の牧太郎、櫻井よしこのお三方が日本のトップ3だろうと思っている」とある。
 ちょっと恥ずかしいが……熱心な読者がいることに、感謝しなければ……。ありがとうございます。

<何だか分からない今日の名文句>
お祖父さんの遺言「後は野となれ山となれ!」