封印された「潜在的核武装」議論

 4日、衆院選公示。主義主張に、それほど違いがないように思うが、雨後のタケノコのような小党乱立。
 原発に関しても、時期はともかく、脱原発の方向は変わらない。
 僕も、現実的な道筋で、原発の依存は少なくすべきだ、と思っている。
 しかし、この問題には、もっと重大なことが隠されている。(政治家のほとんどが、隠している問題は)「潜在的核保有」である。
 多分、選挙に勝つためには、これに触れては不利! と思っているのだろう。
 しかし、これは、国の安全保障に関する深刻な問題。早く議論しなければ! と、常々思っている。
 そこで、この問題を取り上げた毎日新聞のコラムをあえて、再録したい。
 考えて貰いたい。
 牧太郎の大きな声では言えないが…「潜在的核保有」の放棄?
 国が1993年から約2兆円以上の費用をかけて建設、試運転中の青森県六ケ所村の核燃料再処理工場(日本原燃)をかつて4回、訪れた。
 4回も取材したのは……この地はエネルギー安全保障の中核。安全性はもちろん、地域住民の動向、政治との駆け引き、建設のスピード、さらには「他国からの侵入・妨害」まで、チェックする必要があった。
 いつ行っても「やませ」が吹いていた。寒冷雨期の北東の風。一面、厚い霧に包まれる。別名・餓死風。農作物は限られ、「豊かな土地」とは言えなかった。
 村が「原子力」に家代々の土地を手放した理由は「やませ」にあったのかもしれない。
 しかし、“協力の決め手”は「国策」という2文字。「原子力発電所の使用済み核燃料のうち、処分すべきは全体の5%以下。ウランやプルトニウムはリサイクルできる。再処理してエネルギーの自給に道筋をつけたい」という説明に地域は納得し、協力した。
 立地申し入れから27年。六ケ所村は一変した。全国から、ばかでかいクレーン車が集結し、頑丈な建物が次々にできた。
 村は、原子力マネーで“豊か”になった。ここ数年、1人当たりの市町村民所得が県内でトップになった。
 紆余(うよ)曲折しながらも、「国策」は徐々に形になりつつあった。
 再処理工場には秘密? がある。日本はアメリカ議会の猛烈な反対を押し切って、88年7月17日、日米原子力協定を改定。「再処理工場」の建設を勝ち取った。独自の濃縮技術で、理論的には核爆弾を製造する原料を作ることが可能になった。
 僕が最後にこの地を訪れた2005年、この施設は定期11回、抜き打ち14回、国際原子力機関(IAEA)の査察を受けていた。
 核爆弾の原料を作っていないか? という査察。日本は非核保有国でありながら、燃料再処理及びウランの濃縮工場を持つ「潜在的核保有国」になった。
 公式には日本は「他国の核の脅威に対しては、米国の核の傘によって守られる」という立場だが、コトがあれば核保有も辞さない国家と、世界は見ている。
 福島原発の事故以来、脱原発の議論が活発だが、指導者たちはなぜか、この「潜在的核保有」に言及しない。
 しかし、脱原発は紛れもなく「核保有の放棄」。われわれに突きつけられた問題は「国の安全保障にかかわる重大な選択」なのだ。
 <毎日新聞 2011年10月11日 東京夕刊>

<何だか分からない今日の名文句>
憲法改正が実現すると
避けて通れない「 徴兵と核武装」