弁当に牛乳を掛けて食べた記者

 毎日新聞の前身、東京日日新聞の社屋は、明治5年3月12日に元大坂町新道(現中央区人形町一丁目)に移り、翌年2月25日、300号から「浅草瓦町16番地」に移った。
 僕の仕事場から約200メートル離れた柳橋2丁目。現在、三菱東京UFJ銀行浅草橋支店がある角地である。
 その年、19歳で社説を書いた末松謙澄が入社している。
 書生時代の高橋是清(のちの総理大臣)と連れ立って、外国新聞の翻訳原稿の売り込みに来たのがキッカケで、末松だけが、社屋の二階に住み込んでしまった。
 給料が安いので弁当に牛乳を掛けて食べた、という不思議な生活だったが、元気が良かった。
 末松は19歳で社説を書いた。有名なのは「人力車亡国論」。人力車夫は過酷な労働で、次々に肺病で倒れる。結局、国を滅ぼす、と書いた。
 速やかに、馬車、蒸気車に転換すべきだ!という主張である。
 貧乏記者の末松は伊藤博文の娘と結婚して、逓信大臣、内務大臣になった。
 東京日日新聞の歴史は調べれば調べるほど、面白い。
 2日、起こった、9人が死亡した山梨県大月市の中央自動車道上り線・笹子(ささご)トンネルの天井板崩落事故。
 流通がストップすると、経済に大きなダメージを与える。
 どんな時代でも、流通が国力を左右する。
 新聞は悲惨な事故を報道するのも大事だが、行政の尻を叩かなければ……。
 さて、曇天が続く。3日は、たいとう診療所で、インフルエンザの予防接種。
 4日は衆院選公示。「小沢一郎命の日刊ゲンダイ」は選挙予測。自民196、民主107、未来60、維新46……とても信じられない。

<何だか分からない今日の名文句>
放蕩は開化、勤学は姑息と錯覚してはならない
(末松、19歳の主張)