毎日新聞誕生の地「東京・柳橋1丁目」で
12月1日、毎日新聞の題字の上の号数が「第49200号」を記録した。
第50000号まで、あと800回。
毎日新聞社が経営危機に遭遇した時「50000号まで、毎日新聞は生き残れるか?」と思ったり、脳卒中で倒れた時には「50000号まで、俺、生きられるかな?」と思ったりしたが……最近は「50000号まで、毎日新聞で、原稿が書けるかな?」に変わった。
あと約3年、50000号まで、毎日新聞で書きたい!
そして、毎日新聞誕生の地、東京・柳橋1丁目(僕の仕事場がある場所)で死にたい。
毎日新聞の前身、東京日日新聞は1872年(明治5年)2月21日に創刊。毎日新聞はその号数を継承している。だから、 現存する、最も歴史のある新聞だ。
創刊から、数えて2012年12月1日は第49200号。
多分、現存する、日本で一番、長い歴史を持つ出版物になるのだろう。
東京日日新聞の創刊号には「本局 浅草茅町1丁目 日報社」とある。正確には「浅草茅町1丁目24番地」で、現在の「東京都台東区柳橋1丁目」のJR総武線に近いところだ。
創刊したのは、条野伝平、西田伝助、落合幾次郎の三人組。条野伝平は「山々亭有人」という戯作者、41歳。西田伝助は貸本屋の番頭、35歳。落合幾次郎は「芳幾」という浮世絵師、40歳だった。
本局は条野伝平の自宅。6畳一間。「少し曲がって、丸太でつっかえ棒をしている家」と西田伝助が話しているが、貧乏長屋のようなところだったらしい。
第20号まで、東京日日新聞は、編集、応接、会計、庶務をこの部屋でこなした。
この部屋が日本の「自由な言論」の出発点である。
だから、仕事場から江戸通りに向かう時、毎日、「新聞誕生の地」で「権力に負けない! 第50000号まで頑張るぞ!」を自分に言い聞かせる。(先輩の記者は、その時の権力の勝手で、何人も逮捕されてる)
さて、第50000号まで、書けるかどうか?
寒くなった。
2日は、深川閻魔堂で、養母・牧キミの二十三回忌。明治生まれの、新聞記者嫌いの養母だった。「学者、医者、長者と付き合え! 芸者、役者、記者とは付き合ってはいけない」と教えたが……その癖「新聞記者との思い出」もあるらしい(笑)
法事が終わって、両国で、ちゃんこ鍋。久しぶりに、倅二人と飲む。
ご機嫌だ!
<何だか分からない今日の名文句>
肝が据われば、記者はモテる!