明智光秀が激怒! 「拙者は石原伸晃とは違う」
三連休。競馬場は断念して、考えることがあって、墓参りの毎日。牧家代々の墓のある深川・閻魔堂、養父・大木保之祐の墓がある谷中、実父・小林春吉の墓がある富士霊園。
事情があって、生まれた時は「小林太郎」 3歳から「大木太郎」、養父が亡くなって、母が実家に戻って「牧太郎」。だから、三カ所で、拝む。
高速バスが渋滞で、東京駅から富士霊園まで、4時間も掛かったけど……秋らしい風で爽やかだった。
さて、自民党総裁選。 伊吹文明元幹事長が思わず「首相のにおいがしてきたら雨後のたけのこのように次々と手を挙げる」と嘆いたようだが、ここ数日のテレビ討論を見ていると「石原伸晃だけは総理にならないで欲しい」という思いになる。
知的レベルに疑問を感じる。(他の4候補に難点は一杯、あるけれど)彼が総理になると「鳩山由紀夫」のような大失敗を犯すような気がしてならない。
麻生太郎さんが(この人もかなりヤバかったが)石原伸晃さんを「平成の明智光秀」と批判したそうだが、これを聞いて、明智光秀が「拙者は石原伸晃とは違う!」と激怒している。
天正10年(1582年)6月2日(西暦6月21日)の「本能寺の変」。
羽柴秀吉の毛利征伐の支援を命ぜられて出陣する途上、桂川を渡って京へ入る段階になって、光秀は「敵は本能寺にあり」と叫んだ。
二手に分かれた光秀軍は信長が宿泊していた京都の本能寺を急襲して包囲。光秀軍1万3000人に対し、近習の100人足らずに守られていた信長は奮戦したが、やがて屋敷に火を放ち自害した。
光秀は、自分を取り立ててくれた主君である信長を討ち滅ぼした。明智光秀は謀反人(反逆者)として歴史に名を残すことになった。
「平成の明智光秀」というのは「石原伸晃は自分を取りたてた谷垣禎一総裁を裏切った」という意味であるらしい。
しかし、明智光秀には、これに異論ある。怒っている。
明智光秀には「義」があった。
独裁者・信長を倒さなければならない大義あった。比叡山延暦寺の焼き討ち、朝倉義景、浅井長政の頭蓋骨で盃を作り、酒を飲む非人間性、一向宗の一揆に対する残虐な殺し方……明智光秀には許されないことばかりだった。
だから蜂起した。明智光秀には「反乱の大義」があった。
明智光秀が「石原伸晃と違う」と激怒するのは、石原伸晃には「義」がない! からだ。谷垣の「非」を正す大義がない。彼には、ただ、天下を取りたい! という漫画じみた野望だけである。
「石原伸晃を煽てて、長老が権力を奪う」という策略に踊らされているだけである。
敢えて言う。さらに言う。
日本人は、おバカ様を総理大臣にして良いのか?
<何だか分からない今日の名文句>
明智光秀は三日天下 石原伸晃は長老添加物